リッター、ありがとう。
子供らとはしゃぐラッパーポーズのリッター。

子供らと私とリッターと。

鶏の羽をむしり、調理するリッター。

モシからの報せ:アルーシャ事情
                                2007/1/31 (水)

 今日、MOYOに電話をした。
 「Habari yako? Hamjambo wote? Unaendelea je?」(どう?元気?変わりない?)
 「Nzuri. Sisi wazima. Ninaendelea vizuri.」(みんな元気だよ。問題なくやってるよ。)
 いつもの挨拶が交わされた。それは体に染みついた日常の挨拶なんだろう。
 本当は、悲しい悲しい出来事が、あった。

 リッターが、亡くなったのだ。

 リッターは子供ではなくて、MOYOの家の貸間に住んでいたおねぇちゃん。恰幅がよく、しっかり者なので私より年上か同じくらいと思っていたら、私よりずっと若い20歳前半のお年頃の女の子だった。負けん気が強くて、口の悪い大きな男の子たちとよく口喧嘩をしていたけれど、近所の女性たちの中で一番私たちを手伝ってくれたのも彼女だった。子供たちをいつも叱ってくれたし、子供がいじめられたときは本気で怒ってかばってくれた。イスマイルのお見舞いにももちろん来てくれたし、ママMOYOが腕を捻挫したとき、料理を手伝ってくれたのも彼女だった。私とは昔からの友人のように接してくれ、よく腕を組んできた。彼女が何の壁も作らず接してくれたので、私も彼女に対してそうすることができた。別れるときは、抱きしめあった。

 また、4月に会うのを本当に楽しみにしていた。

 施設を別の場所に借りる準備をしている私たちは、引っ越した先でも、彼女には来てもらい、手伝ってもらおうかと考えていた。

 それが、できなくなった。

 9月までは、何の問題もなく、元気だった。持病を持っていたわけでもなかったので、私は最初にその訃報を聞いたとき、本当に信じられなくて、「誰って言ったの?」と何度も聞き返した。

 彼女は1月の頭に、頭痛を訴え、入院したそうだ。右側の頭痛がひどく、やがて左半身が不随になった。ついには目も見えなくなった。そしてそのまま、彼女は再び元気になることなく、私たちの元を去っていった。
 この話を、彼女のお母さんから、聞かされた。

 タンザニアでは、本当に、死というものを近くに感じる。タンザニアと関わってきたこのたった6年間で、いったい何人の友人、知人が亡くなっただろうか。その中には、日本だったら問題にもならないような病気が原因で亡くなったケースもあるんだろう。
死んでしまっても、心の中で生き続ける。私はそう思う。
でも、死は死だ。もう二度と、彼女と腕を組むことも、笑い合うことも、できない。
彼女も、私と再会すれば、きっと心から喜んでくれたと思う。でももう、モシに行っても、彼女はいない。

 彼女はまだ若かった。結婚もしていなかった。これから楽しい人生が待ち受けていたに違いなかった。

 私は、自分がいつ死ぬかなんて分からない。だから毎日を大切に、精一杯生きよう。そう思っていた。
 でも、自分だけじゃなかった。
 自分の周りの人たちだって、いつ、私を置いて去ってしまうか分からないんだ。
 私はその日出会う全ての人と、心の付き合いをしていこうと思う。その一瞬を、大切にしようと思う。また会えるなんて、限らないんだから。

 まだモシでの友達が少ない頃にできた友達、リッター。私は彼女に感謝している。そしてこれからも私たちを見守っていて欲しいと思う。リッターありがとう。ゆっくり休んでください。

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